今年も好きなアイドルのツアーにかこつけて旅行に行ってきました。1日目はJO1のライブに行ったよ、レポ。
1日目 – JO1のライブ@広島グリーンアリーナ
ちょうど1ヶ月前にサマソニに行った時、バンド以外のアーティストでもバックバンドが生演奏していたステージが印象的でした(ケンドリック・ラマーやFLOなど)。陳腐な言い方ですが、やっぱりそこには生演奏の気迫が宿ってしまうので。
JO1は前回のツアーからほぼ全曲生バンド演奏を起用していて、これがライブの一回性のプレミア感を出しているだけでなく、アレンジの工夫で(元はキュートな印象のNew Smileは生だとスラップベースを効かせててかなりファンキーに、ダンスナンバーな印象のSpeed Of Lightもヘヴィーなギターが追加されたライブ版はダークでハードコアになっている)楽曲に新たな魅力を与えていてかなり功を奏していると思います。去年のレポでも似たようなことを書いていますが。
EDM系のフェスに出た時は既存の楽曲をその一回の出演のためだけにEDM風にアレンジし直していたり、彼らのライブセットへの意識の高さは常感じるところであります。
特に今回Born To Be Wildのライブアレンジが非常に良かったんですが、というか、毎回ライブに行くたびに、このBorn To Be Wildという名曲が名曲すぎるだろとびっくりすると同時に、これは別にJO1のファンだからどうこうという次元を超えて、本当に10年に1曲あるかどうかの奇跡的な出来のポップスで、2021年時点でのボーイズグループ史を塗り替えるポテンシャルがあった、プレ-アイドル戦国時代の切り札的な楽曲だったんじゃないかという感触があって、しかし、現状そうはなっていないことに「ハァ?」となってしまうわけなんですが。。
売り上げとかランキングとか再生回数とかの数字的なことを言っているんではなくて、NewJeansやXGやBE:FIRSTなどの先駆性が語らるときに、なんとなくJO1は「語られ」をすり抜けがちなイメージがあり(単に私がキャッチできていないだけでしょうか…/一応K-POPのクリエイティブを取り入れた日本人グループとして先駆者的存在でもあるはずなんですが)。
いや、わかるよ。確かにJO1の楽曲はボルチモアクラブやバイレファンキやシンゲリのビートをいち早く取り入れたり、新進気鋭のトラックメイカーを起用したり、世代のムードやマイノリティを代弁したりしてないですよ。
でもただただいい曲じゃん。。
EW&FのSeptemberとかマーヴィン・ゲイ&タミー・テレルのAin’t No Mountain High Enoughが「ファンにだけ愛されている知られざる名曲」扱いになってたらいやそれはおかしいだろってなるじゃないですか。それですよ。
JAM以外がこの文章を読んでいるか分からないけど、他にも良い曲沢山あるから…、お勧め曲プレイリストをBGMにどうぞ。
やたら攻めたベースが鳴っている”Itty Bitty”、ヴァンゲリスちっくなシンセがエモい”流星雨”等がおススメなんだ。
そういうわけでJO1さんのライブを「早くO2アリーナでこの音を鳴らしてほしい。。」と思いながら見ていたわけですが、楽曲の気持ちよさに対してアートワークや映像にそのリズム感や美意識が受け継がれないのはいつも気になるし、かなり疑問です。
ライブで言うと、毎度ながらツアーコンセプトやそれに伴うヴィジュアルデザインに統一性というか、ぜんぜん”芯”みたいなものが感じられなくて、VCRの流れている時会場が「どう受け取っていいか分からない」感じのあいまいな空気になることが度々あるので、もうその時点で演出としてはダメなんじゃないかと思います。アイドルのライブで映像演出が担う役割は大きいのに、やたら意味深そうで特に意味はない要素を盛り込みすぎて「これってどういう意図なんだろう」とか余計なことを考えさせる(ラマーがヘンリー・テイラーの絵を掲げて「考えさせる」のとはわけが違うので)のは一体誰にとって得なんでしょう。
この問題はミュージックビデオにも共通していると感じて、もちろんショットごとに良い雰囲気だったり決まってる画みたいな部分はどれもあるし撮影のクオリティ自体は高いのかもしれないのだけど、最終的に一貫した「見せたいテーマ」が明確じゃなかったら、それっぽく見せている以上の何かは一生感じられません(見せ方に筋が通ってると感じるのはNew Smileぐらい)。
それでもデビッドリンチぐらい絵ぢからが強かったら単にそれっぽい絵をならべるだけでも通用するかもしれませんが。。それには強力な作家性が必要でしょう。
なので、JO1は一回MVとか映像関係を名のある監督に丸投げしてしてみたらいいんじゃないのかな、と勝手に思っています。撮ってもらおうよ、岩井俊二に。。。
むしろ、コレオグラフィー自体の世界観の表現と説得力が強いのだから、シンプルにこれを見せるだけのMVのあり方とかじゃだめなんでしょうかね。
スパカリのコレオを見ていると3年後ぐらいにはダミアン・ジャレ振り付けみたいな現代舞踏してそうな予感がする。なんか微妙に土着的なんだ。REALとかも面白いんだ。
ところで今回のツアー実は広島公演の前に有明アリーナでも見ているんですが、その時は「無限大シート」という名の見切れ席で、4階のステージほぼ真横の角度、モニターの映像はほぽ何が映っているのか分からないような席でした。
で広島公演はアリーナ席でほぼ正面から全体が見れたんですが、まあ当たり前かもですがあまりにも体験として別物すぎて、正直自分が作り手側だったらあの席を同じ値段で売るのは阻止したいなと思ってしまうレベルでした(誰だって不完全な状態で作品を評価されなくないでしょう)。
もちろん注釈付きの席ですよというのは了解して買っているので、それに対して文句を言うつもりはないんですが、少なくとも「可能性は無限大!」とか言って誤魔化すようなもんでもないなとは思いました。あれはちょっとでも空気を楽しみたい人だけが買っていい席でありました。そもそも今回ライトや映像の見え方もアリーナ席の視線を中心に設計されているなと感じたので、ドーム公演等ではもうちょっと遠くの席を意識した演出設計があると良いですね。
とまあ色々不満も書きましたが、別に使命感で書いてるとかファンの気持ちを代弁しているとかでなくただ自分が不満なことを不満だと言っているだけですので悪しからず。。
オートチューンのコーナー
そういえばなんか今回のツアーのMCから突如始まった「オートチューンのコーナー」あれ、なに?????(オートチューン業界騒然)
しかも曲中で使うわけではなくMCで喋る時だけ急にオートチューンがかかるという使い方、JO1も温泉マークのオートチューンがかかるゲーム実況のフォロワーであるとしか考えられないが、JO1は全てのことを常になんの説明もなくやりだしてなんの説明もなく終わるDon’t think! Feel…型グループなので謎は深まるばかり。。
しかも回を重ねるごとにオートチューン着実に上手くなってるのが面白すぎて爆笑してしまった。今回複数メンバーで「お前のオートチューンはなってない!貸せ!」とオートチューンがかかるマイクの奪い合いまで起きてたしオートチューンにわかに熱すぎるだろ。このままいくと最終公演の京セラドームではオートチューンMCがとんでもないことになってしまうのでは??(京セラ公演に行く人、オートチューンのレポをよろしく。。!)
ところで、毎回ライブだと河野純喜の圧倒的主人公力に全部持っていかれてしなしなになってしまうのですが(パワーがすごいものは見るのにもパワーがいる)、今回は川尻蓮が凄かった。彼の踊りが上手いのはもうみんな知ってることだと思いますけど、今回はちょっと上手いの想定を超えてきていた気がします。一瞬一瞬の止め絵が綺麗すぎて1秒24コマ全て神絵師が入魂して描いたアニメみたいでした。セル画時代のディズニーアニメ?ひとりファンタジアか?
アンドロギュノスな美しさも年々増してますが衣装さんも完全にそれを分かっている感じ。あんたがジギー・スターダストよ〜!!って感じでした。でもみんな笑顔が美しくて最高でした。この世の善を信じたくなる。ありがとう。
そして打ち上げではねぎたっぷーりの本場広島焼きを食べました。
東京で食べる広島風お好み焼きってお好み焼きの下に焼きそば敷いてあるぐらいの感じありますが、現地のは焼きそば自体がメインとして美味しい食べ物だった、ぜんぜん別物ですね。
広島は街が綺麗で、「道が整備されてて綺麗ですね」と言ったら地元のひとに「80年前に一度まっさらになっているもので、、」と返され己の浅慮を思いましたが、あるある的な会話ではあるらしい。でもきっかけがないとこうやって国内を旅行して街を見て回ることも中々ないので、おっかけ活動はこういう機会を与えてくれてありがたい。
1日目はそんなこんなで終了。
ここまででだいぶ長くなってしまったので、2日目以降の旅行記は後編として一旦分けたいと思います。
次回、新幹線で猛ダッシュチャレンジがあったり、尾道で素敵なメガネ屋さんを見たり、尾道市立美術館に行ったり、シュシ・スライマンのシドラハウスを探しにいったり、三原でタコ三昧したり、宮島に行ったり、各地の音をフィールドレコーディングしたり、色々ありました。近々アップするので、是非後編も読んでくれたら嬉しいです。
後編書きました!!
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