SWに出会ってSWにお別れする話

TROSを観てきた。

ディズニーが言う「真実の愛」とは、「もののあはれ」の対義語である。
真実の愛による魔法のキスは、そんなわけで、バケモノを美しい男に変えたり、壊れたメモリの記憶を復活させたり、死んだ人間を生き返らせたりする。
この王国では、夏になっても雪だるまは溶けず、子供の頃のイマジナリーフレンドには、クローゼットを通じていつでも会える。
「キャラクター商品にお金を落とす限り、あなたはずっと子供のままでいていい」と、妖精が耳元で囁いてくれる。

わたしたちは回転木馬に乗っている。
ここでは誰もが王様で、目の前には次々と、自動的に、あらゆるお菓子が差し出される。
TROSがもしもキャンディの内のひとつだったら、甘いだの苦いだのと言えたことだろう。
だけどこれはキャンディではない。木馬のほうなのだ。
だからもはや、良いも悪いもない。あるのはただ「からくり」だけである。

この巨大な機械は一体、誰のために動いていたのだろう。単に止めどない創作意欲を昇華するため、はたまた、それは子供たちのため、特に、どこかの名もなき孤独な少女のため、または、世界から脇役に押しやられた人々のためだったのだろうか。
いまやそれは、臆病風に煽られて、慣性だけでくるくる回っている。

実際のところ、乗っているわたしたち自身が、ここで回り続けることに決めたのかもしれない。
そうだとしたら、わたしはもうそんなファンダムの一員でいたくない。黄色いロゴが印刷されたTシャツを着て、暗黙のうちに”仲間”と連携したくない。
いっそ雷をおとして、全て燃やしてしまうべきだろうか。
確かにわたしはSWを愛していた時があったし、夢を見て心躍った時があった。その記憶があれば充分ではないのか。
それに、きっと私が求めるSWは過去ではなく、常に未来にあるのだ。

こんな風に書いてはみたけれど、思い出してみると、わたしがSWを好きになったきっかけは、『シスの復讐』の冒頭のドッグファイトを見て「宇宙ってかっけー」と思ったから、というあまりにささやかな理由に過ぎなかった。

だからわたしが自分なりにSWを愛したように、きっと誰かもまたTROSを見て、誰かなりにそれを愛するのだとおもう。