2024年3月の日記

日記です。

3月に聴いていた曲。エクスペリメンタルその他もろもろ。

3月はわりと映画をたくさん観ましたので、映画の感想を色々。

『52ヘルツのクジラたち』を観た

”『52ヘルツのクジラたち』観た。52ヘルツと言いながらエンドロールで流れるSaucy Dogの曲が低音スカスカになってて笑ってしまった。”

とSNSに書いていた。観た直後の感想がこれなの随分ろくでなしっぽいが、それぐらいには印象的だった。

Jポップのマスタリング技術や作法についてなんの知見があるわけでもないが、きっとテレビとかで流れた時に良い感じに歌詞が入ってくるようなデザインになってるんだろうと想像する。それにしても、劇場用に後から調整するとかやれなくもなかったんじゃないか。それともタイアップソングは歌詞の内容だけが重要で、聴取の印象なんかは重視されてないんだろうか。

なんだかやたら細部にこだわっているように聞こえるかもしれないが、それでも細部に表れてしまうものはあるというか、「歌詞の内容だけが大事」の姿勢が映画それ自体にも透けて見えてしまうのだ。

それはそれとして杉咲花は世界の宝です。

『デューン 砂の惑星 PART2』を観た

実写化クソデカ羅生門みたいなショットの連続、違法になりそうな重低音、10兆K画質アンビエント映像!みたいな馬鹿語彙で表現したくなる感じで、まあこんなのはもう永遠に観れてしまいそうなのだが。

しかし原作通りなんだろうけど、特定の地域を連想させるような民族性の描写が多いので、現在の世界情勢的にもどういう気持ちで作っているのかなあと疑ってしまうところはある。

ファンタジーと割り切れば、彼らが用いるガジェットひとつとっても、架空の生活様式についての世界観が怖くなるぐらい緻密に作られていて、こういうところにビッグバジェット映画の底ぢからがあるなあと思った。しかし困ったら爆発レベルで困ったら重低音だな最近のハリウッドは。

『ZOO』を観た

ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティブで復刻上映されていたので観に行った。

どうでもいい話。グリーナウェイの『ZOO』は遠い昔にバイト先の近くにあったTSUTAYAにVHSが置いてあって、それを手に取った、という記憶だけがはっきり残っており、だからすっかり見たことがあるつもりでいたんだが、今回改めて観て、一切内容について覚えていないことに気付き、しかもあまりにとんでもねー映画だったので、もし自分がこれを観たうえですっかり忘れているんだとしたら、過去に人を殺していても忘れているだけかもしれないと怖くなった。

映画内世界が、強迫的な美に呪われていく過程に異様な説得力があり、このどんなにとんでもねー話でも野方図な印象にならず謎の説得力があるところがグリーナウェイ作品の凄いところだなと思った。

すべてのイメージが、すべて正しい順番で提示され(ているように感じさせる)、やがてすべてがあるべきところへ収まっていくさまに、不思議な安心感を覚えるのだった。良心がかけらもない映画なのにね。

渋谷イメージフォーラムには久々に行った気がするが、あのあたりの景色が昔のまんまな気がして、アルノー・デプレシャンの同じ映画を何回も観に通っていた頃の帰り道の空気感とかがふっと思い出され、そして自分はその頃から特に何も変わってないなあとなんか凹んだりした。

『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』を観た

アマプラでゴダールの『イメージの本』を見て感動して以来晩年のゴダール作品に興味があって(むしろ、『勝手にしやがれ』あたりにはそこまで思い入れがない)今作も遺作ということで観に行ったが、上映時間20分、しかも冒頭しばらく無音と静止画だけが続くという攻めすぎな上映で、まずこれを商業ベースにのせたことが一番すごいかもしれない。

雲を掴むような内容だったので上映料金の1000円より高額なプログラムを購入。

『アワーミュージック』からの映像が引用されていることが分かったのと、ゴダールが長年市民革命、特にパレスチナ革命に関心が深かったことが分かったので、まずはそこからかなという感じ。あとキネマ旬報から再掲されていた淀川長治氏のゴダール評が辛辣かつ優しさのある独特の書きっぷりで凄くよかった。

『オッペンハイマー』を観た

いくつも亀裂の入った時系列を見ていくことで割れた鏡に映ったオッペンハイマーのイメージを捉えようとすることになるわけだが、それはこの映画が「肖像画」や「伝記」にならないための配慮であるように思えた。

罪悪感とは持てる者だけが味わえる甘美な感傷だが、映画が甘美なものを描いて何故いけないのか。

『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』を観た

Tutti-Fruttiが本当は肛門性交の歌だったという話にしろ、原液よりも少しだけ薄められたもの、少しだけソフトにされたものが歴史として残っていく、というのは何ともなーだ。

歴史家がやるべき仕事を自らこなすことになってしまったリトル・リチャードが大変そうすぎて悲しくなってくるのだが、ある意味、自らを戯画化してテレビショーの世界観になじんでいく身のこなしとか、タフで繊細で。

ゴスペルアルバムを出す流れで、なんとなくyeことカニエのことを思い出して、彼についてのこういう全体像を映し出すようなドキュメンタリー映画が作られたら見てみたいなあと思ったりした。

ビヨンセの来日

音楽ジャンルのルーツ問題といえば、ビヨンセのカントリーアルバム発売も話題になっていたが、そんな折、突然ビヨンセ来日の報が。

ちょうど渋谷に用があったので 件のサイン会には間に合わなかったものの、少しだけ現場の雰囲気は味わうことが出来た。やはりビヨンセ目当てでそこに来ていたインターネット旧友に会えたり、別の友達からも「ビヨンセ来てたね!」とLINEが来たりして、スターが人と人とのつながりを作ってくれた瞬間に感謝した。みんな、ほんとにビヨンセのことが大好きなのね!

なんか、ビートルズの時代には登場するだけで失神するファンとかいたかもしれないけど、最近のひとは意外と冷静よ、と思っていたけど(特に最近のアイドルなんかは親近感を売りにしていることが多いから、多分世間が思ってるほどには”狂信的”なファンっていないし、若い世代ほど推しを友達みたいに思ってる人が多い印象)、ビヨンセのサイン会は盛り上がりの雰囲気的に失神者が出ても驚かないなと思ってしまって、そう考えると、ビヨンセは神格化されるスターの最後に人になるのかもしれない。

Ableton Liveでビデオビート

最近Ableton Liveをちまちま触っているが、動画ファイルをそのまま読み込んで編集できることを知った。といっても専用ソフトではないため、フィルターをかけたりといった本格的な編集はできないようだったが、単に切り刻んで並べるだけでも結構面白いものができる。

というわけで、※鶴ミームを使って曲?にしてみた。(※JO1のメンバーの鶴房くんが猫ミームをパロディした動画。どうやら自分で編集もしているらしいのですごい)

素朴な面白さがあるので、またいい素材を見つけたら遊んでみたい。

もっと高等なことをやるならTouch Designerに入門するべきなんだろうなあ。

鶴ミームのオリジナル動画はこちらです。