ダンス教室に通い始めた話

※このエントリは「私の望みの歓びよ Advent Calendar 2021」の23日目です。

ごあいさつ

今年もやってきました、はとさん主催のエッセイアドベント、通称ぽっぽアドベントまた参加できて嬉しいです。このイベントのお陰で、毎年みんな、推したり引いたり、凹んだり凸ったりしながらもなんとか日々ここまで生きてこれたね、という緩い繋がりを感じられて、希望がもらえたりします。

今年のアドベントのテーマは「私の望みの歓びよ」ということですが、近年体調を崩しがちだったミドルエイジいきものである自分にとっては健康こそが目下の歓びです。
しかし、もとよりスポーツ全般とそれに準ずるものが苦手で身体を動かす習慣もなく、加えてパンデミック下で出かける機会も減りさらに不健康になるいっぽう。
今回はそんなインドアおたくにんげんが最近いきなりダンスを習い始めてしまった経緯について書きたいとおもいます。

ついに身体にガタがくる

生まれてこの方、主に机の上にへばりつく形で人生をどうにかやってきましたが、ついに去年辺りに自律神経の不調っぽい症状が出たりしはじめ、さすがにそろそろ身体を動かさないとやばいのではないか、という気配はつねに肩越しにあったのです。

それでスマホの待ち受けをビヨンセの画像にして筋トレへの意欲を高めたり、ビッグブラザーにメタデータを売り渡す代償に位置情報ゲームでウォーキングへの意欲を高めたりしていましたが、いずれもやる気が2日以上続かず。
人生ずっとそんな感じだったので、これからもそうだろうなあと思っていたのですが、思わぬところから転機が訪れます。

Bossを見つける

わたしは常に自分にとってのカリスマボスを追っかけながら生きているミニオンのような生態のにんげんなのですが(近年ではドクター・フーに夢中になったり、イギリスのバンドThe Horrorsを追っかけたりしていましたが)、今年も今年で新たなカリスマを見つけてしまいました。

それは今年6月頃、たまたま見ていた番組でその御方のパフォーマンスを目撃したのがきっかけだったのですが、

・ステージ上では近寄りがたいオーラを放っている
・アンドロギュノスな魅力がある
・一方でわけあり菓子詰め合わせを買うのが趣味だったりして自室に物が多そう的生活感がある

というカリスマ三大条件をクリアしている逸材に出会ってしまったのです。

そんなカリスマと出会った詳しい経緯は以前の記事(最近急に「川尻蓮さんすげえよ…」になっている経緯説明ブログ)に譲るのですが、この川尻蓮さんというカリスマは元々ダンサーをされていて、現在はJO1というボーイズグループに所属しています。

このJO1というのがまた面白いグループで、日本人のグループでありながら、企画に韓国の大手企業が関わっていることからK-POPの歌唱・ダンスメソッドやインフラモデルをフル活用した上で、音楽的にはK-POPとJ-POPのハイブリッドをやっているという独自路線を築いています。

わりと前例がないところに一から実験的にモノづくりをしているようなグループなので、どことなくインディーズ精神が感じられる風土も面白みなんですが、それでもカルト/サブカル路線には行かず、あくまで王道ダンスポップミュージックをやり切っているというのが非常に清々しいグループなのであります。中でも『Born To Be Wild』という楽曲は出色の出来です。

そういうわけで今年の夏あたりからJO1を気にかけ始め、最初の内は柱の陰からただただ「いい曲だなあ」「ダンスきれいだなあ」と心の中で称賛を送るだけでした。いわゆる推し活文化を代表するミームに”尊い”というのがありますが、これがその精神の段階、ステージ1です。

”尊い”のステージを越すとどうなるのかというと、たいていの場合、”なりたい”がきます。

これは「自分も憧れの人みたいになりたい!」というキラキラした願望というより、同じ経験をすることで対象への解像度を上げたいという、いわばゴリラの研究家が自分も群れに入って生活することでその生態をより深く理解したいと思うのと同じ、極まった研究心から生まれる欲求です。

ベネディクト・カンバーバッチはドラゴンの役を演じるために動物園に行ってトカゲの動きを研究したらしいですが、このことからも分かるように、「なる」というのは対象研究の究極形なのです。

JO1になろう

では、JO1になるにはどうしたらいいのか。素直な心を持っているとか、目が死んでないとか条件は色々ありますが、正直そういうのは今さら努力でどうこうできるものでもないので、シンプルに活動上の必要スキル面に着目してみると、彼らのパフォーマンスの支柱になっているのはやはりダンスです。まずはダンスができなければJO1にはなれない。

でもダンスって、今まで自分が生きてきた文化圏と離れたところにありすぎる。わたしの時代には、今と違ってTikTokで流行りの振り付けをみんなで踊ってみる、みたいな文化もなかったし、体育の授業にもダンスの項目はなかったので、下手したら小学生の時に夏祭りで踊った盆踊りが最終ダンス経歴かもしれません。

おまけにわたしには停止しているボールを蹴ることがまともに出来ない程度の運動能力しかありません。とにかく運動っぽいことを避け続けて生きてきたので、いきなりダンスといっても何をどうしたらよいのかまるで分からない。ここは腹を括ってプロに教えを請わないことには、にっちもさっちもいきません。でもこんな小心者に一人で教室に通い始める勇気があるのだろうか・・・。

なんとタイミングがよいことに、たまたま近所に住んでいる友達が、これもたまたまKポップグループにはまっており、ああいうの踊れたらかっこいいよね、運動不足も解消できるし、という綺麗な流れで一緒に近場のダンススクールに体験レッスンに行くことに。ありがたい。持つべきものは友達です。

体験レッスンに行く

11月某日。体験レッスン当日、ちょっと早めに友達と待ち合わせて、余裕のない大人のたったひとつの憩いの場、Dトールで気持ちの整理をすることに。全く知らない世界に飛び込むので多少の緊張はありましたが、しかしこの時点ではそこまで不安には思っていませんでした。

何しろ体験レッスンです。体験レッスンというものは大抵の場合先生が凄く優しくしてくれます。向こうも商売ですから、初見のひとに入会しやすい雰囲気みたいなのを多少は演出するものです。ド素人に最初から急にステップとかやらせるわけないよね、ちょっとストレッチみたいなことするぐらいかな。自己紹介とかさせられたら恥ずかしいなあ・・・。

そんな予想大会をしていたらすっかりいい時間になってしまい、ぎりぎりの時間に現地に到着。スタジオ内には既に待機している生徒たちが。わいわいしてる雰囲気かと思っていたのですが、意外にも真剣な空気にまごつきます。

そうこうしているとすぐに先生がスタジオに現れ、いよいよレッスン開始。自分たちより全然若そうで、話し方がさばっとしたギャルみのある先生です。そして「はよーございまーす」の挨拶もそこそこに、先生はおもむろにミキサーに近づき、いきなり爆音ヒップホップミュージックをズンドコズンドコと流し始めると、当然のようにストレッチの動きを始めたのです。無言でみんながそれに続いているので、どうやら黙って真似ろということらしい。アイスブレイクという観念が存在しない世界観に圧倒された私たちは思わず目を合わせて「まじかよ…?」というテレパシーを送り合いましたが、こうなったらとにかく皆についていくしかありません。

これは危惧していたことでしたが、まったく運動していないにんげんは身体もすこぶる硬いです。慣れない方向に必死に足を開いたりさせられて既に筋肉がゴワゴワになり、早々にリタイアしたい気分に。しかしダンススクールという特殊世界の洗礼はこれで終わりません。

「今日はランニングマンやりまーす」という先生の声。

え?まさかいきなりステップとかやるんですか?こっちはずぶの素人ですよ?

大体にして、今までLDH的ものごとの対岸を歩んできた人生でした。もし海でHiGH & LOWみたいな集団に出会ったら鮫より恐怖を感じますし、そもそも海とか行かない人生でした。それが今になって急に、LDH的ものごとの根幹であるランニングマンをやることになるとは、心の準備が追いつきません。

そう逡巡している間にもどんどん指導は進み、ステップのみならずなんかちょっと一連の振り付けっぽい動きまで付け加えられていきます。この辺りで薄々気付いてきたのですが、基本的にダンスレッスンというものは「見てやって覚えろ」方式のようです。これはおそらく多くの文化系にんげんが苦手としていること。できればまず頭で理解したい。文章で説明してほしい。図解を見ながら一コマずつ覚えたい。

まあちゃんと質問とかしたら普通に言葉で説明してくれるんだとは思いますが、なんかもうDo Or Die!!!!!!!!!!!!!!!!!!!って雰囲気に気圧されてそれどころじゃありません。パニくりながらもどうにか手足をバタバタさせる自分。しかしまたこの動きがキツい。超高速で全力でスクワットしてるようなキツさです。一周回って、やってる間にもう筋肉痛が来ている気がする。LDHのひとたち、こんなキツい動きを笑顔でやっていたのか……ランニングマン、多分にんげんの肉体に負荷をかけるためだけに編み出された動き。いきなりの激しすぎる全身運動に一瞬死を意識しました。だけどここで死んだら死因がランニングマンになってしまう。 それは避けたい。

そんなこんなで無理やり身体を動かしていると、不思議なことに、「あれ、なんか自分、踊れてる…?(※踊れてはない)、ランニングマン、できてる…?(※できてはない)」という瞬間が訪れます。

にんげん、ある程度無理やりにでもやってみるっていうのも時には大事なのかもしれません。たぶん自分だけでやっていたら途中で完全に心折れてましたが、スパルタ方式によって約1時間でわたしはランニングマンができる(※できてはない)側のにんげんになってしまったのです。スポ根にはスポ根の合理性みたいなものがあるもんなんですね。多くの人はこういうことに中学生ぐらいで気付くものなのかもしれませんが、人生における「頑張る」イベントから全部逃げてきたのでいま初めて知りました。

貴重な体験をした帰り道、友人と「ついに我々…、ダンスを踊れる側(※踊れてはない)のにんげんになってしまったな…」と感慨にふけります。

「ていうか、普通にウチらすごいよね?未経験なのにちゃんと授業ついていったもん」

「そうだよね、誰も褒めてくれないけど、自分たちを褒めていいよね?Love Myself….」

なんかみんなできて当然みたいなレッスンの雰囲気に惑わされて気が付くのが遅れましたが、途中で死ななかっただけでもわたしたちは相当偉かった。自分の頑張りを認められること、これがDIVAへの第一歩です。やばすぎ!ウチら最高!のテンションでそのまま入会を決めます。すごい。地獄のブートキャンプにまた自ら足を運ぼうとしている我々、あまりにも偉すぎます。

そして日常へ

体験レッスン直後から既に太ももと膝にダルさが来ていたのですが、本番は翌日でした。首から足首まで余すところなく全身が痛い。普段は座り仕事をしているので生活自体はどうにかなりましたが、完全復活するまでに普通に一週間ぐらいかかりました。

そして身体の痛み以上にきついのが、自宅で練習している時に鏡に映る自分の姿。そう、できないダンスを練習するということは、鏡に映る最高にダサい自分の姿と向き合わねばならないということなのです。

考えてみると、学生時代とかに比べて、大人になると自分のダサさに直面する機会ってあんまりないんですよね。

だいたい、自分ぐらいの年齢の周りのひとは、すでに専門的なスキルを身につけていたり、人の親になっていたり、むしろ人になにかを教える立場になっているし、かっこいい大人になっているものですから、何かが出来なくてダサい姿を晒す機会ってそんなにない。

それだのに、俺には地位も名誉もお金もないし、ダンスもださい。生きる意味ってなんだろなって思えてきます。

でもそれで思ったんですが、それなりに長く生きてくると、そしてインターネットを長くやっていると、どうしても対外的に自分を実態より良く見せる術みたいなものを学んでしまって、こんな自分だって何某かの存在だってフリをすることだけはうまくなっていくんですけど、だからこそこうやって鏡と向き合って、目の前に動かしようのない自分のダサさという”真実”を突きつけられるっていうのは、認知を正す意味で貴重な機会なんですよね。

「ダサくてもいい、がむしゃらにやろう」みたいなフレーズにも真実みがあるもんなんですね。多くの人はこういうことに中学生ぐらいで気付くものなのかもしれませんが、青春ロック的なコンテンツから全部逃げてきたのでいま初めて知りました。

しかし、去年のぽっぽアドベントではVRChatによってバーチャルの容れ物を受肉して生身の肉体から離れようと奮闘していたのに(結局、3D酔いに打ち勝てずほとんどログインできていません)、今年は自分の生身の肉体を操作することに苦闘しているというのは、皮肉というかなんというか。

結果、JO1になれたのか?

折角だから一か月ぐらいの練習の成果として、JO1の曲を踊ってみよう!と思い立ったのですが、なにせJO1のダンスは動きが激しくて難しそうなのが多いんですよね。

そんな中でも唯一、アイドルっぽい可愛い曲で他の楽曲に比べたらなんかちょっと踊れそう感を醸し出している『Dreaming Night』という曲に着目しまして、ダンサーさんがダンス解説してくれている動画と、本人映像を付き合わせながらどうにか振り付けを理解し、サビのダンスを練習してみました。もう散々己のダサさに向き合いましたから、晒すのも怖くないよ!

まずこれ、あくまで本人は、脳内イメージでは、結構必死に、キレよく踊っているつもりなんです。(ところで実はマスクの中は100%笑顔です。怖いですね。というか、全力でこの動きをすると自動的に笑顔になってしまうんです。にんげんが真顔で出来ない動きが含まれてる振り付け。あと、「ぬじゃべす」パーカーは、JO1のリーダーの與那城奨さんが常に私服でNujabesのパーカーを着ているので、友達が洒落で作ってくれた素敵な贈り物です)

では、本物が踊っている映像をご覧ください。

当たり前のことなんですが、本物、動きのキレが本当に全然違います。(ちなみにGUのチェックパンツを履いているのが私服が庶民派川尻蓮さん。動きがパッキパキすぎる)自分のダンスをビデオで撮ってみると、自分の中では足を上げているつもりでも実際は全然上がってなかったり(「おいで…」の所の足の上がらなさがすごい)、精一杯キビキビ動いているつもりでも全然ドン臭ムーブをしちゃってるっていうのが客観的によく分かり、恐ろしかったです。でもこれも認知の歪みを正していくということ!

改めて自分の身体を思い通りに動かすにはちゃんと鍛錬が必要だし、根本的に踊るための筋肉っていうものがもっと必要なんだろうなあと思います。

でも振り付け覚えられただけでも十分偉いと思います自分(Love Myselfの精神…)。それにこんなポップでかわいい感じに見えるダンスでも、実際踊るのって大変なんだ!っていう事が分かり、JO1だけではなくアイドルグループ全体への解像度が上がったので良い経験でした。見るのとやるのは全然違う。

しかもJO1の人たちはこんな大変なダンスをしながら、キーが高くて難しい歌まで歌い(彼らの楽曲の9割はカラオケで歌われることを全く意識していない難易度です)、表情の演技までしっかりしています。それに加えて最近ではワイプ芸や大喜利の腕まで上がっています。すごい、やっぱり才能のある人たちなんだなあ、と片付けてしまいそうなところです。

しかし、大人はつい「才能」という言葉を使って若いひとを持ち上げて(または切り捨てて)しまいがちなんですけども、才能というワードには環境という要因がついてまわるということについてもよく考えないといけないんですよね。

幼少期からダンスや音楽に触れる環境があり、長年訓練を積んできた人、そうではない人。

JO1、割と「そうではない人」側でもある。デビューするまでダンス未経験だったメンバーもいるのです。でも、そこから約2年ほどでみんな目覚しいほど上達しています。きっと練習量もすごいんでしょうが、その身をもって技術というのは大人になってからでも、地道にやっていけば徐々に身につくものだというのを教えてくれるところがあるし、彼らのそういう部分に勇気を貰えたりもします。

……という方向でいい話にまとめようかとも思ったんですが、JO1のひとたち、50m走のタイムで半数が6秒台叩き出す運動神経バケモノ軍団なんだった、ということを思い出して我に返りました。普通の人間とは元が違えんだ元が。解散解散。

まあ、というか、別に上手くなることだけをみんなが目標にしなくてもいいんですよね。

それが表現というものの面白いところで、例えばSMAPの中居くんなんかは「もはや歌わなくてもいい」という、ボーカル表現の極北をやっている人なわけで、こういう存在があるところに日本のアイドルというものの多様性があると思っているのですが、だからわたしのダンスがいつまでたっても上手くならなかったとしても、若者みたいに元気に踊れなかったとしても、その中で何かを見つけられたとしたら、それが自分を表現しているってことだからいいんです。

いや、表現うんぬん以前に、一番は健康になることを目的としていたわけなのですが、正直なところ、身体は逆にバキバキの満身創痍状態になっている気がするし、筋肉がついてきたとかスタイルが引き締まったとかの実感もまだ今のところないです。

ただ今はこのまま続けることが大事だと思うので、目標は「やめない」ということ。1年後ぐらいにまたどこかで健康状態を報告できたら嬉しいです。

病的に飽きっぽい自分独りでは絶対に続かない気がするので、一緒に通ってくれる友達がいるというのが本当にありがたいです。改めて、リアルともだちやインターネットともだちの優しさに生かされているなって日々思います。弱いにんげんなので独りじゃなにもできません。もらってばかりではなく、自分も誰かに少しでも楽しみや優しさをお返しできていたら嬉しいのですが。

最後に、現在進行形でダンスも歌唱力もどんどん進化しているJO1の最新曲を貼っておきます。「限界なんてない」と歌う彼らが、いつかグローバルに活躍するグループになる日がくるのを楽しみにしています。

明日のぽっぽアドベントは~?

明日の担当は最近かわゆぅいネコチャンを飼い始めたと噂のふじおさん(@fujio0311)です!クリスマスまであと2日!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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