日記です。
今月聴いていた曲リスト。
今月は、ハイエイタス・カイヨーテの新アルバムが出て嬉しい!
#2のElain Mitchenerは実験的なボーカリストでこの曲も声だけで構成されているのだけど、同じ単語を繰り返すとゲシュタルト崩壊してグルーブになっていく過程が楽しい。
#11はアルジェリアの大衆音楽「ライ」の女王と呼ばれているChaikha Rimittiの歌唱、リイシューだけど今聴いてもすごい新鮮な感じがある。
人々レーベルからコンピをリリースした
おかげさまで、今年立ち上げた音楽レーベルの人々から初めてのコンピをリリースできました。これについてはまるっと別の記事としてのちほど投稿する予定。
関心領域を観た
ジョナサングレイザーもミカレヴィも好きだけど、なんとなく乗り気がしなくて観るのを先延ばしにしていたら、主演俳優のクリスティアン・フリーデルと、音響のジョニー・バーンのオンラインQ&A付き上映がアナウンスされたので、この機会にと思い行ってきた。
勝手に「凡庸な人々も、次第に残酷さに慣れてしまう」みたいな内容なのかと思っていたんだけど、凡人どころかスーパーエリート野心ミチミチ強靭しごデキ夫婦が主人公で、めちゃくちゃ仕事がシステマチックに出来るっているのは、引き換えに人間性を失うっていう、それはそうでしかない、という話だった。
一般的な家庭を描いているという先入観があったのは、「収容所から聞こえてくるおぞましい叫び声や銃声などに段々と、自分もまた慣れてしまいました」というようなコメントをよく見ていたからもあるのだけど、いざ映画を観たらむしろそういう感想がいっぱいあるのが意外だったというか、「いや、ぜんぜん普通に慣れなくないか。。」とおもったし、実際には大抵の人があのプロフェッショナル夫婦ほどには慣れないんじゃないかなあと思ったり。。せいぜい途中退場するお母さんぐらいじゃないかな、素朴に自分の中の罪と悪を重ね合わせできるとしたら。
しかしああいうとんでもない人間にも簡単に自分を重ね合わせてなにがしかの内省をしてしまうというのが映画というものの機能なのかもしれない、と思いつつ、でもこの映画って全然映画ぽくないのだ。
とか言うと「映画」の定義ってなんですかという話になり、そんなことがわたしに答えられるはずもなく…でも多分『関心領域』はゲルハルト・リヒターの『ビルケナウ』(アウシュビッツ内部で撮られた写真の上から絵具を塗りこめていて、ホロコーストの具体的なイメージを隠している)的なことを映像でやろうとした結果なのかなと思った。
映画の最後で現在のアウシュビッツの映像が「挿入」される(モンタージュとかでなく、「挿入」だった)ところは、『インターステラー』に出てきたワームホールの説明風にいえば、「吐き気」という鉛筆に突き刺された時空が強制的に接続されてしまった瞬間で、一番映画っぽくなくて一番映画っぽい瞬間だった。
近距離現在
るこっち好きだと思うよ~とお勧めされたので行ってきた(好きそうと言われたものはできるだけ見たい)。
今思い出すと、ヒト・シュタイエルと、シュ・ビンの作品が印象に残っている。
『ミッション完了:ベランシージ』は、バレンシアガのような高級ブランドを、セレブはこぞって着るんだけれども、しかしバレンシアガは、なんかあたかも錯視トリックとか、一休さんの頓智みたいな方法で貧困までをも自身のブランディングに取り込んでおり、しかもそれを巧みに隠しているのだ、という話をユーモアたっぷりに伝える内容だった。東欧革命とかの背景知識が足らなくて即座に意味をとれないところも結構あったけど(勉強しないとなあ。。)、バレンシアガのコピーブランドのベランシージのほうが値段が安いので、権力者に靴を投げたい時などにはベランシージのほうが有用、ってとこが良かった。
シュ・ビンの『トンボの眼』は、中国でネット上に一般公開されている膨大な監視カメラの映像を素材としてつなぎあわせて、そこに全く新しいストーリーをつけて映画にしてしまう、という例え思いついたとしても実際にやる人はいなさそうなことをマジで実現した作品なのだが、2017年とかに発表されてたらしい。
面白かったのが、監視カメラを覗き見ている、という体裁のため、台詞がずっとすごい小さくて遠くの方から聞こえてくる。大抵の映画の音声というのは結構過剰であるので、この常に耳を澄まさないと聞き取れないような音声のありかたというのが、見ていて新鮮だった。
音楽の世界でも、できるだけ大きく聞こえた方がいいみたいな価値観が流行っているから、逆にすんごい小さい音の音楽とか作ってみたくなった。
ANIMAL WELLばっかりやってた
あと、横浜のシンフォステージに行って、初めてチェロを触ってみて楽しかったとか、ホーツーニェンの展示が面白かったとかあったんだけど、月後半はほとんどANIMAL WELLで時間が消えていった。
ANIMAL WELLは謎解きとアクションがメインのインディーズゲームで、無限に深堀り要素があるので、無限にプレイしてしまう恐ろしいゲームだった。
わたしは別にゲームは得意じゃないんだが、インディーズゲームは作家性が尖っているのが多いから、その人の世界の表現手段のひとつだとおもってチェックしているのみで、あんまりゲームをプレイすること自体に深くのめりこみたいみたいな気持ちはない。(ので、昨今流行のオープンワールドとか果てしなさそうなやつはやりたくない)
個人開発ゲームだとボリューム的にもあっさりクリアできたりするのがちょうどよかったんだけど、ANIMAL WELLはフラクタル図形かよぐらいどんどん新たな謎出てくるので、とにかくずっとやってしまって、途中で怖くなって「だめだ、もうやめよう」と思ってやめた。。
やめたと言っても、一応本編はクリアして、そのあとヒントを観ながらtrue end?的なやつまでは辿りついたんだが、なんかまだ先があるっぽいのでさすがに。。みんなもやる時は気を付けてください。
あ、でもホーツーニェン展、「時間」がテーマの作品群が新作だったのだけど、途中廊下に出たら窓の外で豪雨が地面に打ちつけていて、これだ!これこそが!「時間」だ!!となった、というのを今思い出した。
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